『リョーマ! The Prince of Tennis 新生劇場版テニスの王子様』感想~越前南次郎と許斐先生。リョーマの二人の生みの親の想い~
※このブログは『リョーマ! The Prince of Tennis 新生劇場版テニスの王子様』のネタバレが多く含まれます。映画未見の方の閲覧はご注意ください。
※独自の考察が含まれておりますので、予めご了承ください。
先日の日曜に三度目の鑑賞が終わった。興奮で何が起きたかさっぱりわからない…という状態から脱却できたので、一歩踏み込んだ考察を書きたいと思う。
具体的には、
・タイムスリップは『リョーマ!』以前からループとして存在していた。
・エメラルドが蝶を隠した理由の考察と改変について。
・この映画でリョーマは何を手に入れたのか?
・許斐先生が伝えたかったこと。
の4点だ。かなり決めつけた言い方も含まれるのでそのあたりは、ご理解の上読んでいただきたい。
■タイムスリップについて
まず、タイムスリップについて。タイムスリップは、
①越前リョーマが親父と戦いたいと願っていること
②メビウスが刻まれたボール
③そして宇宙の模様が描かれた青い猫
この三つの条件がそろうことによって発生することは、あの映画を見れば一目瞭然だと思う。
ここで一つ考察したいことがある。
このループが今回初めて起きたことなのか、すでにこれまでにも行われてきたことなのか?だ。
私は最初、このタイムトリップが起きたことで歴史が改変、ゆえにエメラルドも車いすテニス選手からモデルに変わったと考えた。
が、それだと一つの謎が発生してしまうことに三回目の視聴で気づいた。
それが冒頭の越前南次郎のセリフである。
「リョーマ世界にはお前の知らない強いやつがゴロゴロいる。この俺を引退に追い込んだ男のようにな。このボールはその時使ったボールだ(うろ覚えで申し訳ありません…)」
このセリフに違和感を感じる。最初の視聴では、対戦相手を最初ヴォーンであると思ってこの会話を聞き流していた。しかし、だ。
ヴォーンであるのであれば、南次郎は彼に負けたことになる。しかし、ヴォーンは明らかに南次郎より格下の腕前。やはり、八百長なしでヴォーンが勝てるとは思えない。
と、なると、改変前の世界ではAA社が八百長を使ったことになるが、それだとメビウスのマークがついていることがおかしいことになる。あれはサムライドライブを打つときに刻まれる印。
AA社の八百長で無気力試合をしていた南次郎があえてヴォーンに打つ技ではないのだ。
となると、やはり南次郎は`無気力試合はせずに、サムライドライブも打ったことになる。それどころかヴォーンに勝ったと思われる。
なので、リョーマが調べても見つからなかった人物…それはやはり改変前の世界でも【未来の越前リョーマ】なのだ。南次郎を引退に追い込んだ選手(正確には、リョーマが未来のリョーマと気づいていて、自分の子供を育てるために引退しようと決意した選手)…それはやはりリョーマ自身なのだ。
南次郎は、それらをすべてわかったうえで(自分が戦っていたのは未来のリョーマであると)、リョーマにタイムスリップに必要なメビウスのボールを渡したわけだ。
この『リョーマ!』で描かれていない、デフォルトのタイムスリップをこのブログでは、便宜上【スリップA】と呼ぶ。映画で描かれているタイムスリップを【スリップB】と扱う。
【スリップA後】の世界では、エメラルドは車いす生活になっている。父からの遺伝であるとすると【スリップB】改変後の世界でも、車いす生活をしているはずなので、あれは後天的な事故か闘争によるケガであると思われる。
ここからは推察であるが、【スリップA】の世界のリョーマと、【スリップB】の世界のリョーマは異なる行動をとっていると思われる。
おそらく【スリップA】の世界では、全米オープン決勝まで見事逃げとおしたのだと思われる。(※なぜ逃げおおせたかは後述する)
逃げおおせたリョーマは会場に出現。それを見た南次郎は、人質に取られていないことに安心し、八百長を破棄する。
それにより、ヴォーンは敗れる。しかしながら、アダム・アンダーソンの八百長もばれることがなかったのでAA社ももちろん残ることになる。(これは【スリップA後】の現代にもAA社が残っていることが、エメラルドの車いすテニスのポスターのスポンサーマークからわかる)エメラルドは自分が未遂とはいえ八百長テニスに加担していたことに激怒。アンダーソンに反攻するが、返り討ちになり両足の機能を失ったのであろうと推察される。
リョーマが逃げおおせ、南次郎が勝利したものの、不幸な結果を生み出したのが【スリップA】の世界なのだ。
■『リョーマ!』の物語で、初めて起きたイレギュラー
【スリップB】の世界が生まれた理由。これが、『リョーマ!』という作品の根幹にもなっていることなのだが…結論から言おう。【スリップA】の世界と【スリップB】の世界を分けたものがある。それが〝竜崎桜乃〟だ。
【スリップA】のタイムスリップは推察であるが、越前リョーマは単身でスリップしているはずだ。その理由は、リョーマがうすうす自分がタイムスリップしたことを知っていると思しき描写があるからだ。
それは、タイムスリップしてすぐに、若き南次郎の全米オープン決勝のポスターを見て「俺たちタイムスリップしてるかも」と竜崎に言うシーンがあるからだ。
いくら何でも理解がはやすぎる。
これは理解がはやいというより、なんとなく小さいころに大人になった自分と出会っていたことを覚えていたから、やはり俺もタイムスリップしたか…と思ったのであろう。
ただし、リョーマは全国大会決勝立海戦前の、滝の修業で大木に頭を打ち記憶喪失になったため、リョーガのことなど幼少期の記憶を忘れていた。なので不完全な状態で過去を覚えているため、ぼんやりとしか覚えていない。
さらに、そんなリョーマは別のシーンで桜乃に「巻き込んでゴメン」と言う。これはリョーマにしては自責の念が強いな…と私は思っていた。
しかし、リョーマが【スリップA】のおぼろげながらに記憶を覚えているのであれば、その記憶では竜崎がいなかったことに違和感を覚え、巻き込んでしまったと無意識化で感じたのであれば腑に落ちる。
竜崎桜乃というイレギュラーが増えたことで、リョーマは逃げることが困難になった。一人では余裕で逃げおおせただろうに、脚の遅い女性がいることで、簡単には逃げられなかった。さらに巻き込んでしまったことへの罪悪感。焦燥はいつも以上であっただろう。
そこで、リョーマは偶然とはいえ、電話をかけて助けを求めるという普段のリョーマなら、あまりしない行動を取る。これが良かったのだ。
特に跡部からのアドバイスがわかりやすい。逃げ回って得た栄光など意味がない。(手塚は苦しい時こそ逃げずにうちこめと言いたかったのであろうと思われる)
かくして、リョーマは逃げずにエメラルドと戦うという、【スリップA】の世界ではなかった選択肢を取る。桜乃という守らなければいけないものが初めて現れたことで、攻めに転じたのだ。これがエメラルドの心をも動かしたのだ。
■エメラルドと蝶のタトゥー・過去の推察
さて、次にエメラルドが抱えている問題に触れよう。キーワードは胸元の蝶のタトゥーだ。エメラルドがリョーマとの試合後襟がはだけ、タトゥーが見えたのをとっさに隠すシーンがある。その後のシーンではそれを隠さないでロングスカートを着ている。
その点だ。
その前後に、心情の変化があると思われる。
リョーマが自分から来た際に、エメラルドは驚いた表情をして「逃げなかったのか…」とつぶやき、笑顔をみせる。そしてそのリョーマに負けることで清々しくリョーマに協力するのだ。タトゥーを見せるようになったのは、それが隠す必要のない〝過去〟になったからだ。
蝶にはいくつかの意味がある。一番あるのは、蛹から蝶になることから【再生】【飛翔】【復活】などを表す。その意味も込められているだろうが、私は比翼であることに注目した。
おそらく、エメラルドには愛した男がいたのであろう。しかし、マフィアである父親を恐れ逃げたのだと思われる。それにより、エメラルドは【男性は逃げる者】と不信に思うようになり、父親からも離れるようになったのだ。
リョーマが逃げずに戦うことで、どんな窮地でも逃げない人間がいることを知り、エメラルドの人生も幸福なものに変わったのであろう。
■この映画でリョーマは何を手に入れたのか?
リョーマはタイムスリップ前から強かった。強敵に無心で挑む無我の境地を経て、テニスを純粋に楽しむ心を持つものだけが発揮する天衣無縫の極みに至った。
それは、病床からの復帰の体とはいえ、中学テニス最強の幸村精一を倒すほどの強さだった。
しかし、南次郎は喜ぶと同時に危惧したのであろう。
「ちっぽけな世界で勝手に満足するなよ」と。
それで、リョーマにタイムスリップに使える(であろう)ボールを渡して、その先にある強さを見せようとしたのだろう。
その先にある強さ。
リョーマは劇中で、「なんでそんなに強いの?」と若き南次郎に尋ねている。
一度目はテニスの練習施設の着替え室で、二度目は小さなリョーマとリョーガがタイムスリップした後で…。
南次郎はその質問に「お前らも大きくなったらわかる」とごまかすが、その強さの秘訣はすぐにわかる。
そのまなざしの先にある、倫子やリョーマ、リョーガで…。
そう、この映画における旅路こそ、天衣無縫のその先にある強さを手に入れる旅であったのだ。
すなわち桜乃を守ることで、リョーマはそれ以上の力を手に入れた。
(桜乃が弱虫のくせに、必死に男から鞄を守ろうとしたのもその伏線である)
これらは、主題歌である「世界を敵に回しても」の歌詞からもはっきりわかる。
強くなりたい? という曖昧な答えじゃ南次郎には勝てない。
たとえ世界を敵に回しても、守るべきもの全てが、人を強くさせるのだ、と。
無我の境地も天衣無縫もしょせん一人の力であり、限界がある。それを超えて世界と戦うには
守るべきものがないとダメなのだ…と南次郎は伝えたかったのである。
リョーマはそれを受け取ったかというと、おそらく「まだまだ」だと思われる。
フランス戦S2前哨戦にあたる馬上テニスで桜乃を守って戦う描写があるので、その片鱗は感じ取っているとは思うが、それをリョーマが実感するのは少し先であると思われる。
リョーマに実感させる人物はすでに予想できている。
平等院は、かつてデューク渡邊の妹を守ることで一度は世界に挑めなかった苦い経験のある男だ。
そんな平等院は今まさに世界最強のドイツに挑んでいる。
それは独りよがりの強さではなく、日本・仲間を背負った男の強さだ。
リョーマは恐らく、平等院の死闘を経て、守るべきものがある者の強さを感じ取る…のかもしれない。
敵から奪うテニスのリョーガと、守るべきものがある強さを得たリョーマ…。
そんな戦いが来たるスペイン戦で見られるかは、まさに許斐先生=神のみぞ知る世界ではあるとは思うが、この『リョーマ!』が今連載中のリョーマに与える影響がゼロとは到底思えないのである。
この考察が正しいかどうかはぜひ、連載中かつクライマックスに向かってどんどん盛り上がる『新テニスの王子様』を読んでそれぞれで判断してほしい。
■許斐先生が伝えたかったこと。
最後に一点。なぜ【スリップA】と【スリップB】の改変が行われたのか?その力はどこから生まれたのか?という疑問だ。
猫やメビウスのボールはその力の源ではない。これらは【スリップA】でも発動した力なので、その原動力ではない。
結論から言おう。その力の正体…。それは【今まで『テニスの王子様』を応援してきたファンのみんなの声援(エール)】だ。
メタ的な考察では?と思うファン以外の方は多いかもしれない。だが『テニプリ』ならあり得るのだ。
『テニスの王子様』は何度も終わったかもしれない作品だった。
『新テニスの王子様』自体、先生がファンサービスで描き始めたもので、本当は人気キャラを出して数巻で終わったかもしれない作品だったはずだ。
しかし、それが『旧テニ』以上の連載期間になった。
『テニミュ』もそうだ。演出という観点ではセカンドシーズンで完成したと、演出家・上島雪夫氏が述べた『テニミュ』は4THシーズンに突入。さらには、実現不可能と言われた『新テニ』もミュージカル化を果たしている。
許斐先生と3Dの跡部たちの競演…、不可能を可能にしてきたが、それは許斐先生一人の力ではなく、やはりファンの20年以上の支えがあったからであろう。
つまり、『リョーマ!』が起こした奇跡はほかでもない観ている我々が起こしているのだ…! エメラルドを幸せに導いたのはほかでもない、我々なのだ!
その証拠は、やはり主題歌「世界を敵に回しても」の中で描かれている。
2番のサビ(※柳生のソロの手前の方がわかりやすいか)にて
時の異邦人だとしても、その声援(エール)があるなら 世界をまるごと変えてしまえ
という歌詞があるのだ。
これは『テニプリ』ファンの声援がある限り、何度だって許斐先生やリョーマが奇跡を起こして世界や運命・未来を変える
という強い意志の表れに他ならない。
声援は一方通行なものではなかったのだ…!
■さいごに
最後にこの画像を見ていただきたい。ジャンフェスで製作決定が発表された際のティザービジュアルだ。
この時から、リョーマと南次郎のほかに青い猫が描かれている。彼がリョーマをタイムスリップさせる猫であるという構想は当初からあったことがうかがえる。
そして、当時ツイッターを追いかけていた人は覚えているかもしれない。この絵には8つの文字が刻まれている。
それは
「テ・ニ・プ・リ・あ・り・が・と」
の8文字だ。
テニプリを応援したファンへの想いが隠されている。許斐先生がファンの声援(エール)があったからこそ、この映画を作ったという意思だ。
声援(エール)によって、『テニプリ』世界にあった規定の流れをも塗り替えた。
私の考察も、そこまでの妄言ではないかもしれない…と思うのだがいかがであろうか?
映画を見た想いを走り書きしてしまったが、ここまで付き合っていただいた皆様に私も感謝を送りたい。
「ありがとう」と。